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マルマン神父物語

ヨゼフ・フェルディナン・マルマンは、1849年3月26日フランスに生まれました。

1897年 、黒島に主任神父として赴任し 「私は、教会堂の建設のために黒島に来ました。信徒の皆さんが教会を必要としないなら、私は島に居る必要はありません」と信徒に問い、教会堂の建設が始まったとされます。

教会建設では、設計、建設の指導、説教壇も自ら作成するほどの、卓越した才能の持ち主でした。

建設資金が不足したため、一時フランスに戻り募金活動により資金を集め、ステンドグラスとキリスト、マリア像、アンゼラスの鐘と共に帰国。島民の労働奉仕と共に全身全霊をそそぎ、3年間を費やして天主堂が完成しました。

また修道院のために田畑を購入し、シスター育成にも力を注ぎました。

マルマン神父の人柄や素顔を語ったものは余り残されていませんが、学問的に深い世界に住んでいるような物静かな方で、温かく大きな心安さを感じさせられる人柄だったとの記録が残っています。信徒達から厚く慕われていた神父様だったようです。

教会完成から10年後に黒島で永眠(63歳)され、カトリック共同墓地に埋葬されています。マルマン神父は亡くなる前、「この体が亡くなる時、神よ私の霊魂を委ねます。私の魂をみなの祈りに頼みます。私の言葉と行いをもって、みなの心を傷つけたことがあったなら、どうぞお許し下さい。無原罪のマリアと善き死の保護者ヨセフのご加護のもとに」と書かれた手紙が、机の上に残されていました。​​​​​​​​​​

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